日本におけるスカウト運動

日本には1908(明治41)年にこのボーイスカウト運動が伝わりました。広島高等師範学校の北条時敬校長がイギリス訪問の折り、スカウト教育について文部大臣より調査を命ぜられ、帰国後自分の付属中学校で実験を行なったことが最初と言われています。
その後、全国各地にいろいろな少年団(当時はボーイスカウトのことをこう呼んでいました)が数多くつくられ、全国的な統一・結成への動きが起こり、1922(大正11)年4月13日に「少年団日本連盟」が創立されました。

初代総長として後藤新平男爵が選ばれ、ボーイスカウト国際連盟に正式加盟し、世界の仲間入りを果たしました。
1924(大正13)年、福島県猪苗代湖畔で開催された第1回全国野営大会のあと開かれた総会の際、今日まで歌われている連盟歌「花はかおるよ」(山田耕作が作曲)が制定され、翌1 925 (大正14)年には「ちかい」と「おきて」、制服、進級章、技能章などが決まりました。当時は325団、6万7471名のスカウトだったそうです。
第2次世界大戦後のスカウト運動では、1948(昭和23)年に世界スカウト会議に日本が復帰したことで始まり、荒廃した国土の中での幕開けとなりました。全国規模のイベントでは、全国野営大会として1949(昭和24)年の皇居前での第1回、50年新宿御苑での第2回、さらに翌51年の山形蔵王での第3回と続きました。

日本ジャンボリーとしては第1回が1956(昭和31)年に軽井沢で開催され、4年ごとに回を重ねながら2013(平成25)年には山口県阿知須きらら浜で第16回大会が開催されました。
そして、今年2015(平成27)年8月には第23回世界ジャンボリーが同じく山口県阿知須きらら浜で開催されます。

2021(令和3)年2月現在、全国で2102団、約11万名のスカウトの仲間がいます。